September 29, 2004

安部公房

安部公房っておもしろいっすよね。中学校のころから好きなんだけど。
このまえ友達を待ってるときに読んだ。「人間そっくり」っておもろいんで
よんでちょ

どんなものか序文みたいなのをちょっと下に書いてみた。

もっとも、あなたが、ぼくの希望どおりの<人間>であったとしても、それでただちに味方を得たと思うほど楽観してはいけない、なにぶん、ぼくのおかれている立場というのが、荒唐無稽といってもいいほど、異常きわまるものなのだ。あなたがせっか<人間>であってくれても、今度は僕のほうが、果たして<人間>らしく映ってくれるだろうかどうか?はなはだこころもとない次第なのだ。

だがゆがんだ鏡に、ゆがんだ像が映るのは、むしろ道理にかなったことで、逆にまともな像がうつったりしたら、それこそ道理の敗北ではあるまいか。なるほど、ユークリッド空間の外に一歩でてしまえば、平行線も並行ではなくなってしまうかもしれない。とは言え、われわれの生活が、現に経験率の範囲内で成立している以上・・・
いや、よそう。いたずれな弁明は、かえって容疑を濃くし、自分を不利におとしいれるだけだけのことだ。狂気の疑いを解くのに、いくら正気を主張してみたところで、なんの役にも立ちはしない。今はとりあえず、ゆがんだ鏡を、ゆがんだ鏡と認めてもらえさえすれば、それで十分なのである。

たとえば、あなただって もし、本物の<人間>であるかどうかの、物的証拠を求められたとしたら・・・おそらく、腹を立てるか、一笑にふしてしまうにちがいあるまい。そもそも、人間が人間であるということは平行線の公理と同様、証明以前の約束事なのだ。公理というやつは、定理とちがって、もともと証明不可能だからこそ公理なのである。

そう、ここは一切の釈明が論理的に成立ちえない、狂気の法廷なのだ。しかし、いくら狂っていようと、法廷であるかぎり、容疑の否認だけで無罪を認めてくれるほど、寛容であったりするはずがない。いったん容疑者として引き立てられた以上、裁判官を説得しうるものは、ただ彼等が直接手にとって見ることのできる物的証拠があるのみなのだから。

・・・だからといって、あわよくばあなたに弁護をたのもうなどと蟲のいい期待を抱いたりしているわけではない。ただせめて、もし万一、あなたが僕と同じ運命に見舞われたとしたら、やはりそれを不当と感じる程度には、、ぼくと同類の存在であってくれますように!

投稿者 jive : September 29, 2004 11:35 PM
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